2019年5月9、10、11日の3日間に渡って行われた欅坂46の「3rd ANNIVARY LIVE」についてメンバーの石森虹花が雑誌「B.L.T」で語っているのを読みました。
このブログは最近、欅坂46のファンになった管理人が少しでも欅坂46を知ってもらうためと、自分の記憶のために書いています。
2019年6月現在は、欅坂46の8枚目シングル「黒い羊」とそれにまつわる様々な情報を発信しています。
境界線を超えてしまった主人公(平手友梨奈)
私自身はこの武道館ライブの最終日を見ていないので映像も何もわからないのですが、MVと同じ衣装でのパフォーマンスだったことを知りました。
「黒い羊」という楽曲は、今まで欅坂46が伝えてきた世界観をさらに強烈に見る者に伝える力強さがある楽曲です。
見る側にとってはそれが辛い過去のトラウマだったり、忘れてしまいたい人生の汚点だったりもするのかなと思います。
「僕の周りの世界は 絶望に溢れている」
「黒い羊」のCMを見ると、MVの最初の場面に被せるようにして平手友梨奈が呟きます。
それがこの「黒い羊」のテーマなんだと思います。
絶望に溢れているこの世の中に同じ絶望を抱く主人公が寄り添いハグをしようとする。
だけど、跳ね返されたり、突き飛ばされたりする。そんなに簡単に分かり合えない存在なんだと思い知る。
石森虹花曰く武道館バージョン「黒い羊」は平手友梨奈はすでにこの世にはいない存在となっているということでした。
平手演じる僕が境界線を越えてしまったというか……私たちには見えない存在になっているんです。
だから、曲の最後に(ステージ上のセットの)2階で抱きつく振りはエアーでやっていて。ただ、見えないけれど気持ちはシンクロしているから抱きつく。でも、そこに僕はいない。だから、平手以外の全員が頭を抱えて苦悩するという振りも入っているんです。その後、僕がいなくなった場所へ走っていって想いを馳せ、ゆいぽんが彼岸花を手向けるんですけど、そこを境にステージの左手は向こう側の世界で、右手が自分たちがいる世界っていう設定になっていて。でも、僕のことが見えないから、ゆいぽんは花束を持って向こう側へ行こうとするんです。そこで、私たちには見えてない平手が「来ちゃダメだ」って、彼岸花だけが残るっていう。あの彼岸花は心を意味しているんですよ。だから、最後に花束を置いて消えていくのは「この心はあなただけのものだよ」っていう気持ちを表しているんです。今回はそういうストーリーになっていたんですけど、ちょっと複雑な設定だったので、表現の難しさを感じました。
2019年7月24日 B.L.T.7月号 石森虹花インタビューより
彼岸花が「心」を意味しているというのは各所でメンバーが語っています。もちろん平手友梨奈も。
精神的な死から実際の死に至る
「黒い羊」MV監督である新宮良平氏はMVの最初の事故現場のシーンを主人公(平手友梨奈)が死んでいるところから始まる
と語っています。しかし、それは実際に死んでいるのではなく、精神的な死という意味だそうです。
しかし、武道館ライブではすでに見えない主人公になっている。
これはどういうことなんでしょうか?
「黒い羊」には様々なバージョンがあると石森虹花が語ります。
サイズにしても
フルサイズで見せるバージョン
テレビサイズにコンパクトになっているバージョン
ストーリにしても
ラストで平手が石森と小林に抱きつこうとして跳ね返されるバージョン
ラスト石森が全く関わらないバージョン
そして、今回の武道館バージョンは上記の通り、境界線を超えて見えない存在として存在しているバージョン。
この武道館バージョンでは何を伝えたかったのか?
私は実際にも映像でも見ていないのでわかりませんが、自分なりに解釈したところでは
失ったものの大切さ
ではないのかなと思いました。あくまで自分の解釈です。
どん底から「僕」が他人とぶつかり合う勇気を得ていくストーリーにしたかった
これは新宮監督がMVを作る上で表したかった表現です。
MVでは1階、2階、3階とそれぞれ表現が違っていましたが、僕の心である「彼岸花」が重要なファクターとして存在します。
1階では「心」を持って絶望している人たちに抱きつき、心を返してくれる人もいた。しかし、2階になると誰からも拒否され、「心」を自分で捨ててしまうほどの絶望感に落ちる。2階から3階の踊り場で過去の汚れのない自分から新しい「心」をもらい、もう一度生きろと励まされる。
絶望と希望の歌
と言ってしまうととても軽く感じてしまうのですが、絶望していても生きていいんだなと思える、そんな曲だと感じています。
武道館バージョンは今後さらに進化するのか?
石森虹花は今後、この「黒い羊」はここぞというときに披露する曲になっていくのではないかと思っているそうですが、確かに「黒い羊」はかなり精神的な負担がかかる曲だと思うので、また次、いつ見られるかはわかりませんね。
そして、この武道館バージョンからさらに別のバージョンになるのではないかという気がします。
何故ならば、欅坂46の楽曲はある意味、メンバー各人の、そして、特に主人公である平手友梨奈の心の変化、進化によってどんどん変わっていく楽曲だからです。
それは「黒い羊」だけに止まらず、今まで出した楽曲全部に言えるのではないかと思いますが。
次にやるときは、またそのときの私たちにあったものに変わっていくんじゃないかなって。もしかしたら、次は前向きで明るくて、ラストに平手に抱きついて終わるかもしれなくて。MVのラストは”抱きしめる瞬間”が楽しい、嬉しいっていう解釈だったんですけど、武道館では真逆の悲しさや苦悩に振られていて……そういう解釈の幅がある曲なので、どうなるかわからない、という捉え方をしています。
2019年7月24日 B.L.T.7月号 石森虹花インタビューより